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心に残る一本桜

若いころは、桜はそれほど好きな花ではなかったし、お花見をしようとも思わなかった。だが、歳を取るにつれてこの花に対して何やら特別な感情が湧くようになり、桜の季節がめぐり来るのを待ちわびる思いが年ごとに強くなってきた。
ある作家が述べていた「齢を重ねるほどに桜に近づく」という言葉が、まさに実感できるような歳になったからかもしれない。昨年、秋田県内100カ所の桜を紹介するガイドブック『秋田の桜』を出版したのだが、その取材過程で、桜への愛着度が増したことも関係しているのだろう。
 
今年の秋田の桜は、満開のころ低温に見舞われたり、雨にたたられたところが多かったようだが、それでも秋田市の千秋公園、角館の武家屋敷・桧木川堤などは大勢の花見客で賑わった。秋田のお花見の名所といえば、こうした桜の本数を競うような場所が多いが、お花見の対象は必ずしもソメイヨシノの群桜や誰でも知っている桜名所だけとは限らない。山峡で人知れず咲く野生の桜、そこに住んでいる人たちだけが心を寄せる桜。『秋田の桜』の取材で強く心に残ったのは、そうした一本桜の美しさ、力強さに触れた時であった。
 
千畑町善知鳥(うとう)の真昼岳の麓で見つけた八重桜も、そうした心に残る一本桜のひとつだった。今から60年前、小川の丸太橋を渡ろうとして、増水した雪解け水に足をとられて流されてしまった女の子がいた。幼い娘の死を憐れんだお母さんは、亡くなった場所に自然石の墓標を建て、供養のための子安地蔵を小さなお堂に安置した。真昼岳を望む田んぼの土手で咲く一本の桜は、8歳で亡くなったその女の子の墓標のそばに植えられたものであった。
 
人の手により植裁された桜には、植えた人の思いが必ず込められている。今、美しい桜が見られるのは、そこに桜を植えた人がいたということであり、桜をいたわり育て、見守ってきた人がいたからなのだ。満開の桜の下に身を置くと、自然に対する畏敬の念が湧きあがり、植えた人への感謝の思いで満たされる。
 
日本国内にある桜は、山野に自生している野生種と、品種改良して作り出した園芸種の二つに大きく分けることができる。前者の代表がヤマザクラ(山桜)、後者の代表がソメイヨシノ(染井吉野)だ。
今では桜といえばソメイヨシノといわれるほど、全国に普及しているが、その歴史はきわめて新しい。この桜は人がつくりだした品種で、江戸時代の末ころ、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が「吉野桜」の名で売り出したとされる。したがってそれ以前にソメイヨシノは存在せず、江戸時代以前の人々にとって、桜といえば山野に自生するヤマザクラを指していた。
ただし、秋田県など北東北で一般にヤマザクラと呼んでいるのは、オオヤマザクラ(大山桜)のことで、有名な吉野桜など宮城県以南に分布しているヤマザクラとは種類が異なる。オオヤマザクラは中部地方の高地や、東北から北海道にかけて分布し、花の色が濃いのでベニヤマザクラ(紅山桜)、北海道に多いためエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)の別名がある。

田沢湖高原(田沢湖町)の水沢温泉郷近くの県道脇にあるオオヤマザクラは、大木なのでよく目立つ。残雪の秋田駒ヶ岳をしたがえて、遅い春の到来を告げるように鮮やかな紅色で咲き誇る姿は、厳しい自然の中で生きるたくましさがあり、ソメイヨシノなどの園芸品種にはない野性味いっぱいの魅力にあふれている。
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田沢湖高原の オオヤマザクラ










オオヤマザクラとともに、秋田の春の山野を彩る桜にカスミザクラ(霞桜)がある。両者は標高の高低ですみ分けており、比較的高いところはオオヤマザクラ、低い場所ではカスミザクラが見られる。カスミザクラも秋田ではヤマザクラと呼ばれているので、オオヤマザクラと混同している人が多い。ヤマザクラは独立した一品種名なのだが、どうも秋田では山に咲く桜全般に対する呼び名として使われているようだ。

接ぎ木して苗木をつくるため、親木の遺伝子をそのまま引き継ぐソメイヨシノは、すべて同一の遺伝子を持つクローンであり、その寿命はおよそ八十年といわれる。自然状態で種子から芽吹いて繁殖する自生種は、親木の遺伝子をそのまま受け継ぐとは限らないため長寿になりやすい性質のものも現れるという。秋田県内の古木の多くはそうした自生種のカスミザクラが占めている。

鷹巣町綴子の「根曲桜(臥龍桜)」、二ツ井町切石の「姥桜」、田沢湖町石神の「白山桜」、大内町葛岡の「かすみ桜」は、いずれも樹齢400年以上と推定されるカスミザクラの老樹だ。
葛岡の「かすみ桜」は一時衰えが目立っていたが、土壌改良などを施して徐々に樹勢が回復し、花盛りのころは木全体が霞がかかって見えたというかつての華やかさが戻ってきた。
 
大内町には「かすみ桜」のほかに、町営大小屋放牧場に一本桜の名木がある。緑の丘陵地が広がる放牧場に、ポツンと立つ一本のカスミザクラ。その姿からは出羽丘陵の厳しい自然に耐え、人知れず花を咲かせてきた孤高の気品が伝わってきて、一度見たら忘れられない。

忘れられないといえば、お隣の岩手県雫石町の小岩井農場で見た一本桜は、大小屋放牧場のカスミザクラに負けず劣らず美しかった。種類はエドヒガン(江戸彼岸)で、岩手山を背景に牧草地の真ん中にすっくと立つ姿は、まるで一幅の絵を見るようであった。

(秋建時報 平成16年5月)

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大小屋放牧場の 一本桜









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 小岩井農場の一本桜
by tabunoki28 | 2005-05-03 00:00 |