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映画『女中っ子』と『旅の重さ』

先日、近所のレンタルビデオ屋で、ナマハゲが登場する珍しい劇映画を借りて見た。タイトルは『女中っ子』(1955年制作)という。秋田県の寒村から上京してきて、東京世田谷の住宅地で住み込みの女中として働く女性と、ヒネクレっ子の次男坊の心の交流を描いており、東北の素朴で芯の強い女性を演じた左幸子の溌剌とした演技と、田坂具隆(1902~1974)監督の丁寧な演出が印象に残る日活映画だ。ただ、ナマハゲの描写に関しては首をかしげる点があって、それが映画全体を安っぽくしているような気がした。

女中の故郷は秋田県の内陸南部の湯沢市(旧雄勝町)あたりの設定になっていて、実家の家業はこけしをつくる木地屋。だが、そもそもナマハゲ行事は秋田県の内陸部では行われていないうえ、湯沢地方だけが産地の木地山こけしを作っている家に、ナマハゲが訪問することは、万にひとつもありえないことである。

私が中学生のころだったか、この映画がNHKTVで放映されたことがあり、それを見た私の母がナマハゲ登場シーンの不自然さに憤っていたことを思い出す。とはいっても、そう思うのは私がナマハゲの本場男鹿半島の生まれで、実際にこの行事を体験しているせいなのだろう。郷土食のキリタンポにしたって、他県では秋田県全域で食べられていると誤解している人のほうが多いというから、ナマハゲもまた然りであろう。

こうした伝統文化や民俗行事を映画で取り上げる時は、奇異な点を強調するあまり実際の行事の場所や時間、決まり事などを一切無視し、撮影側の都合だけで行事の一部分だけを切り取ってしまうことが珍しくない。TVでは現在もヤラセも含めて普通に行われている行為で、脚本家、演出家をはじめとするスタッフの勉強不足と傲慢さはある種犯罪的ですらある。

いつだったかも、男鹿市で中継録画した全国放送の民謡番組で、男鹿の四季にからめて八幡平の山村の作業唄である「湯瀬村っこ」が唄われ、ナマハゲ行事に続けて「西馬音内盆踊り」が演じられて唖然としたことがあった。それらに比べたら『女中っ子』でみられるナマハゲ描写はまだましなほうかもしれない。

原作は芥川賞作家・由起しげ子の同名の小説で、私は映画をビデオで見たあと図書館から借りて読んだのだが、原作では女中の故郷は秋田ではなく山形になっていた。映画ではどうして秋田に変更したのだろうか。へんてこなナマハゲ君をわざわざ登場させるためでもなかろうに…?

ところで、「女中」というのは現代では差別用語なのか、この映画の再放映、再上映の話はほとんど聞いたことがない。田坂監督の『女中っ子』から20年後の1976年に歌手の森昌子主演でリメイクされたのだが、その時は『どんぐりっ子』というタイトルになっている。私はこちらは未見だが、リメイク版では主人公の故郷は原作通り山形県になっているそうだ。

『女中っ子』を見た数日後、今度は明徳館(秋田市立中央図書館)のAVコーナーでみつけた『旅の重さ』(1972年制作)という映画(ビデオ)を借りた。明徳館には、溝口健二、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介、今井正…など、1940年代~50年代の日本映画の黄金時代のビデオがどっさりあるので、大変重宝している。本当は久しぶりに溝口健二の名作でも見直そうと思って立ち寄ったのだが、何の気なしに手にとった『旅の重さ』が妙に気になった。 

封切り当時に見ているが、34年前なのでほとんど忘れていたこの映画を何で見ようと思ったのか。秋田の冬空にうんざりしていたからか。四国、それも愛媛県の南伊予地方が主な舞台なので、若いころに旅した南予の風光が目の前に甦り、無意識のうちに映画に出てくる夏の海のきらめきを見たくなったのだろうか。

それにもうひとつ、その前に見た『女中っ子』が、無意識の領域で私に『旅の重さ』を借りるように働きかけたのかもしれない。なんとかつながり、という偶然は実際におこるもので、実はこの映画の原作である小説『旅の重さ』の原稿は、『女中っ子』の原作者である由起しげ子の書斎で発見されていたのだ。この事実は『旅の重さ』のビデオを見た後、原作者の素九鬼子(もとくきこ)をネットで検索して初めて知った。

ペンネーム素九鬼子という人が『旅の重さ』を書いたのは1964年で、それを由紀しげ子に送った。筑摩書房の編集者が由起しげ子の死後、書斎で遺稿を整理していてその原稿を発見。出版を思い立った編集者は著者の素九鬼子を新聞広告を通じて探したりしたが、とうとう見つからずに見切り出版した。出版の2年後、ようやく素九鬼子本人が名乗り出るという“物語”があったのだ。このまるで“小説のような”エピソードは結構有名らしいが、今回『旅の重さ』を再見するまで知らなかった。

母と2人きりで生活していた16歳の少女が日常生活を捨て、四国をお遍路さんのように歩く一人旅に出て、たどり着いた海辺の村で行商人の父親のような男と生活を共にするという『旅の重さ』のストーリーは、今の時代では牧歌的すぎで現実感に乏しく、旅の先々から「ママ」に向けて書いた手紙という構成も古くさく感じられるのは否めない(何しろ書かれたのが1964年だから!)。

でも映画としては、日本のクロード・ルルーシュとも呼ばれた映像派の斎藤耕一監督作品の中では、『約束』『津軽じょんがら節』などと並んで最良の部類に属するものではあるだろう。この映画の主役はオールロケで撮られた四国南予の風光であり、きらめく夏の海は、冬の秋田で暮らす私の憂鬱を一時忘れさせてくれるに十分だった。

オーディションで選ばれ、この映画がデビュー作となった高橋洋子は、まだ幼さの残るヌードを披露し、いわゆる体当たり演技で頑張っていて、好感がもてる。その後、1981年の中央公論新人賞を受賞した『雨が好き』で話題になり、1983年には自ら監督・主演し同名の映画を作ったところまでは覚えているのだが、それ以降の活動はほとんど知らない。現在、どうしているのだろうか。

また、この時にオーディション2位 だったのが現在も女優として活躍している秋吉久美子(小野寺久美子)で、作品の終わり近くに入水自殺してしまう文学少女役を演じていて、出番は少ないがキラリと光る感性をみせ、忘れがたい印象を残す。オーデションで高橋洋子と甲乙つけがたかったので、原作に登場しない人物を彼女のために特別に設定したのだと何かで読んだ記憶がある。この映画の主人公役は高橋洋子で正解だったとは思うが、秋吉久美子だったらどんな風に仕上がっていただろうか。それも見てみたかった気がする。

ところで、『旅の重さ』でセンセーショナルに登場した素九鬼子は、1974年~1977年の短期間のうちに5編の小説を発表した後、なぜか文壇から姿を消してしまった。現在も消息は不明のようである。

(「秋建時報」平成17年4月)
by tabunoki28 | 2008-01-19 15:29 | 映画