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カテゴリ:民謡
  • 湯っこ唄っこ
    [ 2007-12-11 23:41 ]
  • いくつもの秋田
    [ 2006-10-14 19:42 ]
  • 温泉と民謡
    [ 2006-08-26 08:52 ]
  • 奄美の島唄と田中一村
    [ 2005-07-31 03:53 ]
湯っこ唄っこ
「ふだん着の温泉」というテレビ番組を見ていたら、福島県浜通り地方のある温泉に集う人びとが、お風呂場で民謡を歌いあう光景が紹介されていた。壁ひとつ隔てた女湯と男湯で、湯治客同士がお湯につかりながら民謡の掛け合いをするのだが、私も東北の温泉めぐりをしていて、こうした場面を何度か体験している。 テレビで紹介された温泉は男女別浴だったが、今もしぶとく残っている湯治場の混浴のお風呂場で、即席の民謡大会が始まることも珍しくないからだ。
 
じいさん、ばあさんが一緒に手拍子をとりながら地元の民謡を歌う和気あいあいとした光景は、東北の温泉場ならでは。温泉と民謡は私の2大好物なので、それを同時に味わえるのだから、こんなに楽しくうれしいことはない。
 
岩手県の奥花巻には、毎年二月の節分のころ、湯治客の演芸大会を催している宿があって、数年前、それに合わせて宿泊したことがある。川べりの露天風呂に大会に参加する歌い手のおばさんたちがやってきて、本番前の練習ということで、次々に得意ののどを披露する。浴槽の縁に腰掛けて、手拍子をとりながら聴いた『木挽唄(こびきうた)』『牛追い唄』『沢内甚句』などの心にしみ入るような南部民謡は、今も忘れられない。

私は聴くだけでなく歌うのも大好きなので、お風呂場でよく民謡をうなる。もちろん我流だから人にきかせるためではなく、あくまで日ごろのストレス発散と自己満足のためだが。
夜中に湯治客が寝静まってから、お湯を独占して一人で歌うのもいいものだ。天井が高く密閉されているようなお風呂場は、エコーがかかってよく響く。それに、身体が暖まると声がよく出るようになり、湯気の湿り具合がのどをなめらかにするから、歌う環境としてこれ以上の場所はない。 

数少ないレパートリーの中から、仙北郡の温泉では仙北民謡、津軽に行ったら津軽民謡、といったふうに、場所ごとで歌う曲を変えてみたりする。それぞれのお国ぶりがあらわれている「ゆっこ」と「うたっこ」の相乗効果のせいか、歌っているうちにその土地に昔から住んでいるような気分になるから不思議だ。

(秋田魁新報 平成10年3月)
by tabunoki28 | 2007-12-11 23:41 | 民謡
いくつもの秋田
2カ月ほど前、男鹿市民文化会館で中継録画した全国放送の民謡番組を見ていて、男鹿の四季をテーマにした語り(朗読)の場面に違和感を覚えた。男鹿の秋にからめて「湯瀬村っこ」が歌われ、冬のナマハゲ行事に続いて「西馬音内盆踊り」が演じられたからだ。

おそらくこの番組の構成作家や演出家は、秋田のことをよく知らない人だったのだろう。でなければ八幡平の山村の四季をうたった作業唄や、秋田県南部の農村の、ひと夏の夢のごときエロティシズムを醸す盆踊りを、ナマハゲの仮面の下で唄い踊らせるような演出はしないはずだ。 

昔からこうした全国放送の民謡番組は、時としてとんちんかんなことをする。随分前にも、番組の中で津軽三味線と沖縄の三線(さんしん)を競演させたことがあった。津軽三味線は、弦をバチでたたくような派手で大向こう受けする奏法。独奏楽器としても通用する。対して三線は、唄いながらつまびく伴奏楽器であり、独奏することはほとんどない。勝負はおのずから明らで、競わせる発想自体がナンセンスなのである。

とはいっても、番組の演出を批判するのには、少し気がひけるところもある。秋田に住んでいても、自分が暮らしている地域以外は無関心、無知な事柄がけっこうあるからだ。たとえば男鹿の人は、秋田県の他の地域にも、ナゴメハギ(能代市)・ヤマハゲ(秋田市)・アマハゲ(象潟町)など、ナマハゲと類似した行事があることを案外知らなかったりする。

また、若い人の中には「きりたんぽ」を秋田県全域で食べてきた料理のように思っている人もいる。男鹿生まれの私が初めてこの食べ物を口にしたのは高校を卒業してからのことで、それまでは「だまこもち」しか食べたことがなかった。秋田県南部ではこのどちらも馴染みが薄い料理である。ナマハゲもきりたんぽも、東京など中央メディア経由で情報が入り込み、他者のフィルターを通して自分たちの足元-秋田を見ているからだろう。

何かといえば中央から識者を呼んでご意見をうかがうが、あの全国放送の民謡番組のように、ナマハゲ、西馬音内盆踊り、南部民謡をつなげて、これが男鹿半島の四季だと言ってしまうような言説を、ありがたく拝聴しているなんてこともないとはいえない。

あたりまえのことだが、ひとくちに秋田といっても一様ではない。気候、風土、ことば、食、唄と人…。多様な秋田があり、いくつもの秋田がある。

テレビなどメディアの画一化されたイメージを受け入れて、とんちんかんな秋田を演出して平気でいるのは、もしかするとこの地に住んでいる私たち自身かもしれない。

(「秋田魁新報」平成11年12月)
by tabunoki28 | 2006-10-14 19:42 | 民謡
温泉と民謡
1カ月ほど前、山形県庄内地方の辰ガ湯という小さな鉱泉宿を訪ねた時のこと。脱衣場で服を脱いでいたらお風呂場から『最上川舟唄』が聴こえてきた。なかなかの名調子。ガラス戸をそっとあけてお風呂場に入ったら、湯舟の中で歌っていた中年の男の人はピタリと歌うのをやめてしまった。 「気にしないでどうぞ続けて歌ってください」
と言うと、しばらくして次は『真室川音頭』を歌い始めた。よく伸びるいい声だなあ。小さなお風呂場だからエコーがかかってなおさらよく響く。

東北地方の温泉場を訪ね歩いていると、こんなふうに、お風呂場で民謡を聴くことができるのが嬉しい。特に湯治場の混浴のお風呂場でじいさん、ばあさんが一緒に手拍子をとりながら地元の民謡を歌う和気あいあいとした光景は、東北の温泉場ならでは。温泉と民謡という僕の2大好物を同時に体験できるのだからこんなに楽しいことはない。

僕もお湯につかりながらよく歌う。アパ-ト住まいなのだが、部屋のせせこましいユニットバスを使うことは数カ月に一度くらい。お風呂はもっぱら取材先の温泉か、近くの銭湯を利用している。 お昼の銭湯は利用客もまばらなので誰もいないのをいいことに、自己流の民謡をうなる。これがけっこう原稿書きのストレス発散に効果を発揮してくれる。

湯治場では夜中に湯治客が寝静まってから、お湯を独占して1人で歌うのもいいものだ。僕がまともに歌える民謡はせいぜい5~6曲といったところ。その数少ないレパートリーの中から津軽に行ったら津軽民謡、岩手の温泉では南部民謡、といったふうに、場所ごとで歌う曲を変えてみたりする。お湯と唄っこの相乗効果のせいか、歌っているうちにその土地の人間になったような気がしてくるから不思議だ。

東北地方でも、特に北東北(青森、岩手、秋田)は昔からの湯治場がまだ数多く残っている。そのうえ民謡の宝庫。しかし、この3県は歴史風土も県民性も大いに違いがあり、民謡にそれがわかりやすい形で表われている。
たとえば津軽民謡。他人が節を1回ゆするなら自分は2回ゆする。3回なら4回。他人以上にやることで自分の存在をアピールする。津軽人の積極的な気質とじょっぱり精神そのままの技巧を凝らした唄と三味線。それに反して南部民謡は、厳しい自然条件の下で培われた我慢強い南部人の実直さを感じさせる。底抜けの明るさや見た目の技巧とは無縁な、土臭く飾り気がないひたむきな唄。
秋田民謡は派手で陽気で華やか。だが、単に明るいだけではなく、その中に内気さというか、ある種のはにかみのようなものを感じるのは、秋田県人である僕の贔屓目というものか。僕が今一番注目している秋田民謡の若手のホープ梅若麻貴子さんの唄にも、秋田出身の歌い手にしか出せない芯の強いやさしさを見い出すことができる。特に彼女の『秋田おばこ』は、秋田の女性の内気な色気が感じられる絶品だ。

3県のうちで最初に好きになったのは津軽民謡。ただ、ここ数年の温泉巡りで津軽民謡に対する見方がちょっと変わってしまった。というのも、岩手や秋田ほどには温泉場で民謡が聴かれないからだ。津軽では民謡はプロの民謡歌手が歌うものといったような風潮が、生活に根ざした仕事唄などをどんどん廃れさせてしまったらしい。民謡の隆盛が、かえって一般の人が気安く民謡を口づさむ機会を失わせているという皮肉さ。反対に地元の民謡をふんだんに聴けるのが、岩手の湯治場だ。国見温泉、夏油温泉、湯川温泉などで聴いた『南部牛追い唄』『外山節』『南部木挽き唄』などの地味だが心にしみ入るような南部民謡は忘れられない。

湯治客の自主的な運営による演芸大会を催している大沢温泉や鉛温泉などの湯治宿もある。2年前に鉛温泉の早振り演芸大会を見るために自炊部に泊まった時は、運よく隣が尺八伴奏の人の部屋。お邪魔して話を聞いていると大会に参加する唄い手のおばさんたちがやってきて、混浴のお風呂場で歌おうということに。身体が暖まると声がよく出るようになり、湯気の湿り具合がのどをなめらかにするというおばさんたちは、円形の浴槽のふちに腰をかけ、尺八を伴奏に次々に得意の唄を披露する。天井の高い鉛温泉のお風呂場は音響効果抜群。感動のあまり長湯でのぼせてしまったものだ。

(「秋建時報」 平成6年8月)
by tabunoki28 | 2006-08-26 08:52 | 民謡
奄美の島唄と田中一村
今年の春、桜が満開の角館「はっぽん館」で、築地俊造のコンサートが開かれた。   
築地俊造といっても、秋田ではほとんど知る人がいないだろうが、プロの民謡歌手がいない奄美大島にあって、初の日本民謡大賞グランプリに輝いた島唄の第一人者である。民謡日本一になったのは確か昭和53年ころのことで、その時発売になった「まんこい節」のアルバムは、ながらく僕の愛聴盤のひとつとなってきた。コンサートは三線の弾きがたりだけで進行するシンプルなものだったが、ナマで聞く奄美民謡は、レコードとはまた違った臨場感で切々と響いてくるものがあった。  

歌詞の内容は薩摩藩の支配のもと、過酷な労働と差別の中で生まれた哀話や悲恋物語を題材にしたものが多い。それをファルセットに近い高音で絞り出すように歌うから、暗い情念のようなものが唄の周囲にたちこめる。奄美と同じく唄の島である沖縄の民謡からは、悲しい恋の唄であっても、ある種の軽みや、ユーモアが漂ってくるが、奄美のものはひたすら重く切ない。宴会につきものの踊りの民謡を比べてみても、突き抜けた明るさを持つ沖縄の「カチャーシー」に対して、奄美の 「六調」には昏い情熱が底にある。     

そして、伴奏楽器として全く同じ三線を使っていても、つまびくように弾く沖縄に対して、奄美は細い竹製のバチで弦を打ちおろし、打ちあげるピッキング奏法。それが内に秘めた激情を強調するかのように、独特なサウンドの表情を形づくっている。単なる唄の伴奏を越えているという点では、津軽三味線に似ているともいえるが、弾きがたりのスタイルが醸し出す歌い手と三線の一体感は、やはり島唄ならではのものだ。レコードではわからなかった三線の奏法をまのあたりに見た僕は、奄美の島唄の激しさと力強さの秘密に触れたように思い、それがこのコンサートでの一番の収穫だった。   


「まんこいの郷」築地俊造










山が高く密生した木々が全島を覆い、曇りの日が多い地形的な影響に加え、薩摩と琉球の中間に位置する地理的、歴史的な特色が色濃く影を落とす奄美の島唄。その強烈な個性は、どのようにして育まれたのだろうか。
琉球音楽の発掘と紹介につとめた故竹中労氏の一説を引用してみよう。

「日本(大和)と琉球の旋律は、奄美で妖しい出会いかたをしたのではないだろうか。黒人のブルースが綿摘みの畑の叫びを母体としたように、薩摩の黒糖地獄、その苛酷な収奪と差別とのはざまで、旋律は烈しく哀愁を帯び、かえって扇情的なエロチシズムを、絶望を突き抜けて底抜けに滑稽な自棄(やけ)くそなリズムを、創唱したのではないのか…」
 
今、奄美には、島唄以外に僕を捕らえて放さないものがもうひとつある。それは、田中一村(いっそん)の絵画。一村は昭和33年、49歳の時、千葉県から単身奄美に移住し、昭和52年、69歳で亡くなった日本画家である。一村が知られるようになったのは、NHK教育テレビの番組、「日曜美術館」で紹介され、大きな反響を呼んでからのことで、それまでは全く無名であった。
わずか十数年前、時流に背をむけ自分の理想を貫き、南の島の孤絶した環境の中で息絶えたこの画家の存在を知った時、僕は驚かずにはいられなかった。中央画壇に出ることなく、妻もめとらず、ただひたすら描き続けた真に孤高と呼ぶにふさわしい生涯も衝撃的だったが、何よりもその絵画世界に圧倒されたからだ。

くねる枝と鋭角的に広がる葉の背後に、寄せてくる波の影と黒い雲、遠雷の稲妻ような陽光が注いでいる代表作の「アダンの木」。亜熱帯の樹木や草花、昆虫を前景に、葉の陰やすき間から海と立神と呼ぶ岩を望む「奄美の杜」。  一連の絵画の持つ色彩感覚と幻想性は、日本画のイメージとはかけはなれた独創的なもので、同じように南を描いたアンリ・ルソー的な世界を想い起こさせる。しかし、一見すると南国特有の装飾的で官能性豊かな画面とはうらはらに、南の明るさのようなものは感じられない。どこかストイックなのだ。厳しさと強さ、そして静けさ。そこには奄美の島唄から受ける印象と似通ったある種の翳りのようなものがある。    

奄美の歴史・風土の中から生まれ、歌いつがれてきた島唄と、奄美の天然自然の営みと一体となって生まれた一村の絵。一村がもっと南の沖縄、八重山諸島まで行っていたら、沖縄民謡のような南の明るさと軽やかさをもった絵を描いただろうか。ふとそんなことを思う。



(秋建時報 平成8年年9月)

※田中一村記念美術館 
http://www.amamipark.com/isson/isson.html
by tabunoki28 | 2005-07-31 03:53 | 民謡
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